私の一番好きなナスとひき肉のトマトソース炒め:花田彩央里

 私の母は29歳から60歳を超えた今でもたった一人で小さな喫茶店をやっている。
「いいなぁ、毎日美味しいもの食べられて。」と、子どもの頃はよくお客さんから言われたものだ。中でもナスとひき肉のトマトソース炒めは絶品。上にのったとろけるチーズが端っこの方だけカリカリに焦げているのが何とも言えない。
私はそれをカウンターの角で食べるのが好きだった。他の料理も好きだけど、やっぱりこれが一番好きだ。
 ある日のこと。私がまだ高校生だった頃。バイト帰りに母の店に夕飯を食べに寄った。
その日は私の一番好きな、あのナスとひき肉のトマトソース炒めだった。
店には私の他に常連さんが一人。40半ばのキャリアウーマンがいつものようにベラベラと母に自慢話を続けていた。
聞いていて気持ち良くはなかったがいつものことだし、そのまま黙って待っていた。ところが次の瞬間その女性はとんでもないことを言った。
「何でそんなこと続けてるの?もっとお金になること沢山あるのに。」
ドクンっと心臓が動いたのを感じた。…何言ってるの?この人。
「う〜ん、何でですかね〜。」と言って母はいつものように笑った。私の大好きな料理がジュ〜と言う音とともに皿に盛られる。私は大きな音を立てながらコップに氷を入れ、水を注いだ。
ふざけんなよ。ふざけんな。
どれだけ立派な人生送って来たのか知らないけど、一人の人が一生懸命やってきた道に対して“何でそんなこと続けてるの?”は、ないだろ。
 その女性は決して母を嫌な気分にさせようと思って言っているわけではなかった。子供のように気になったことを口にしてしまう。そうゆう人だったのだ。そんなことはわかっていた。わかっていて腹が立ったのだ。もう来てくれなくても良い。それでも良いから一発ビンタしてやりたかった。でも…できなかった。
結局、その女性が帰った後に、私はボソボソとあんなこと言われて腹が立たないのかと母に聞いた。
すると「…う〜ん。まぁコーヒー飲んでってくれれば良いの。」とたった一言。それには“何て思われたって別にいいじゃん。別に関係ないし”という何というか今まで積み上げて来た母の生き方が見えた。
「そっか。」とだけ言い、私は納得できないまま残りのナスを食べた。あんなに冷めきったナスを食べたのは初めてだった。
26歳になった今。今でもあの日のことを思い出すと腹立たしく感じる。そして未だにあの日の母の感覚がわからずにいる。でも、わかるようになりたいとも思う。
子どもの頃はまわりとはちょっと変わった生き方をしている母を恥ずかしく思うこともあった。でも、歳を重ねるにつれていろんな人の話を聞くうちに、その“恥ずかしさ”は“誇り”へと変わった。大人になっても自分のやりたいことを続けていられる人って中々いないようなのだ。
 私はそんな母のもとに生まれたにも関わらず、人目を気にしすぎて今の今まで、やりたいことを思いっきりできないまま大人になってしまった。このままだと人生あっという間だって、わかってはいるのに今一度、覇気がない。もぞもぞと小さな挑戦をしては、逃げての繰り返しだ。20代後半を迎え、良い加減にこの壁を乗り越えなくてはと思っている。
…久しぶりに食べに行きたいな。ナスとひき肉のトマトソース炒め。もう一度食べて、心を入れ替えたい、今度は暖かいのを。
食べようと思えば食べられることに幸せを感じつつ私は自信のない背筋を伸ばした。

 

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