お疲れさまの夜には、甘酒:池田千晶

 例え風が強くても、雪でも、雨でも、大晦日は家族で寺に除夜の鐘を突きに行く。その足で初詣も済ませる。お参り帰りにテントの中で振る舞われる濃い甘酒が幼い頃から何よりも楽しみだった。寒くて凍えそうになっているところ、足踏みしながら、かじかんだ手を擦り合わせて、鐘を突くために並んで待って、突き終えたら細く暗い道を進んで八幡宮を目指した後のお楽しみ。
すっかり冷えた身体に甘酒の甘さとあたたかさは、もうなんというか、たまらない。
テントを温めるためのストーブの上にある、いびつな形の大きな鍋。何時から煮込んでいるのか家で作るそれよりも濃くて甘くて熱くて。飲むというより食べるといった方が適切か。喉へそのまま嚥下するよりも、残る米粒を奥歯で噛み締めて甘みを確かめてから飲み込むのがおすすめ。普段はこんな遅くに食べることなどないから、胃に負担がかからないという意味でも甘酒はベストチョイスだと思う。
26歳で結婚して家を出た。夫の両親は新年に初詣に行くという習慣はない。夫も日付が変わるタイミングで初詣に行くという発想そのものがない。そんな彼を見ていると、まぁいいかと、わざわざ寒い中、夜中に初詣に行きたいとは思わなくなっていった。
甘酒も飲まない。あれは正月だけの特別な飲み物だと幼い頃に感じていたから、日常の中で作ろうとは思わなかった。
無性に飲みたくなったのは30歳を超えたあたりでのこと。育児休暇を取った後、正社員として再び働き始め仕事と子育てで毎日目が回る程忙しくなった頃のことだ。
それなりに責任を負う立場にもなり、わがままなお客に頭を下げ、納期の心配をしてきりきり神経を募らせる。胃は委縮して夕食が喉を通らなくなった。その時にふと、あの寒空の下で飲んだ甘酒を思い出した。夜中で食欲なんてとっくに失せ、凍えて縮こまった胃に温かった甘酒。
 私は下戸だ。仕事で嫌なことがあっても酒で気分を紛らわすということはない。その代わりに、気分を温めてくれる甘酒がある。
身体が癒されるだけでなく、ふと思い出すのは寒い中でもワクワクがとまらなかった幼い頃の気持ち。
夜更かしすること、真夜中に外出すること、響いて木霊す除夜の鐘、焚火の匂い、雪や風や満点の空…ただ鐘を突いて、お参りするだけ。それが特別だったあの頃。
 私は随分変わってしまったが、不思議と味覚はあまり変わっていないように思う。
そんなことを思いながら今日もため息を吐いたりしながら夕食に甘酒をいただく。
お疲れさま。
ごちそうさま。
さあ、明日も仕事だ。
がんばるぞ。

 

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