田舎のことゆえ、トースターなる物がまだあまり普及していなかった昭和三十年頃のことである。
父の
「おうい、食パンを焼くぞう」
の声がかかると、庭先で遊んでいた兄も私も、ホッピングやフラフープを放り出して、家の中に駆け込んだものである。
土間台所に続く板間の部屋に置いてある大きな火鉢に、私たちはくっつくように正座する。火鉢の中の炭火は少し勢いが落ちて、それを取り囲むように足長の五徳がセットされていた。
そして、その上に置いてある餅焼き網に、父は一枚の食パンを取り上げ、おもむろに乗せるのだ。兄も私も、父が焼け具合を見るために食パンをひっくり返すその手元ただ一点のみに、集中して見入っていた。
食パンは、徐々にきつね色に染まり、気泡のありかを示すように網目模様が浮かび上がってくる。辺りは、食パンの焼ける香ばしい匂いでいっぱいになる。
父が焼き上がった食パンにバターを塗る。バターナイフは、いい具合に焦げてささくれた食パンの生地に当たり、チャリチャリと音を立てるのと同時に、バターのとろんとした香りに兄も私もゴクリとつばを飲む。
「よし、お兄ちゃんから」
兄は、満面の笑みを浮かべて焼き上がった一枚を受け取り、口いっぱいにいい音を立ててほおばる。
次の一枚は、私の分である。同じように丁寧に焼き上げられ、バターが塗られた一枚を、
「美穂は小さいから、お父ちゃんと半分こや」
と、父が縦半分に分け、その片方だけが渡される。私は、「いやや。一枚ちゃんと食べられるのに」と泣きそうになりながらかぶりつくのである。
それでも、口いっぱいに広がる、何というハイカラなお味。自分が神戸っ子にでもなったかのような気分まで、味わっていたのである。
その後、わが家にもトースターがやって来て、あんなに待たなくても手軽にトーストを食べることができるようになった。また、気楽に喫茶店に入り、モーニングにトーストを食べるような時代になった。
今では、あんなにも、作る者も食べる者も目の前の食べ物のみに集中し、でき上がりを待ち焦がれて食べていたことが滑稽に思えてくるほどだ。
しかし、だからこそ、父の火鉢トーストを超すトーストに巡り合うことが無いのだろう。
火鉢トーストには、一枚一枚あんなにも丁寧に食パンを焼いてくれた大好きな父の姿と、食べる喜びが詰まっているのだから。他のトーストが敵うはずが無い。