母は料理が上手な人だった。特に茶わん蒸しは絶品で、卵コロッケ、八宝菜のあげそば、あげればきりがない。そんな料理上手な母が作ってくれた中で、今でも記憶に残り忘れられない味は、意外なものだ。
昭和の時代、忙しい主婦たちの間で、手軽に簡単に出来るということがヒットする、インスタント食品の登場である。
「お湯を注いで三分待つだけ」と言うのが定番のキャッチフレーズ。インスタントラーメンは、小学生の間でも、土曜日のお昼に家に帰って普通に食べるお昼ご飯となっていった。共働きで働く、女性の社会進出の始まりでもあり、鍵っ子という言葉もうまれた。益々インスタント食品は世の中に急激に浸透していく。それでも私はインスタント食品を口にすることがなかった。
母が、「あんなん体に悪い」とか、「何の肉かわからへん」と、今にして思えば失礼な話だが、思ったことを平気で臆せず話す母だったので、ご容赦いただきたい。何でも一から手作りしてくれる母であったが、ある時私は、学校でみんながインスタントラーメンの話で盛り上がり、その話についていけず、食べたことがないインスタントラーメンの味を、頭の中で空想し、妄想し続けた。
そしてどんな味がするのだろうと友達に聞いてみた。すると友達は驚いたように、
「食べたことないの?」と目を丸くした。一年生の頃に流行りだしたインスタントラーメンも、六年生にもなると色んな種類がでていた。各社競って新商品を開発する毎日で、塩・しょうゆ・みそ味。随分時は流れていた。一度でいいから食べてみたくなった私は、家に帰って母に、「今日、学校でインスタントラーメン食べたことないって言ったら、みんなびっくりしてた」とだけ母に言った。体に悪いと言っていた母の気持ちを知っていただけに、食べてみたいとは言えなかった。
その土曜日のお昼。母がインスタントラーメンを買ってきてくれていた。どうやら、私が食べたがっているとわかったのか、話の仲間に入れないと察してくれたのだろう。
「できたで。早よ食べ」そう言って前に出てきたラーメンの上には、想像していた卵ではなく、野菜炒めがのっていた。一口食べるとすぐにわかった。おそらくインスタントラーメンの味ではない。いりこの煮干しだしの味がはっきりとわかる。それでも、うどんだしと同じではいけないと、母なりに考えたようで、上品な鰹節の味はなかった。加えて少しだけスープの粉も入れてくれたようだ。その味は、後にも先にもそれ一回きりだった。
次に作ってくれた時には、スープの素は全部捨てられていた。水から昆布と頭付き丸ごと入れ込んで煮出す、いりこだしのインスタントラーメン。雑味のあるガツンとくるこのだし汁が、知ってか知らずか、何ともインスタント麺とあって旨い。塩と醬油のさじ加減も抜群なのだろう。私の母の忘れられないあの頃の思い出の味である。