高齢でも政治を動かした徳川家康!生涯現役の秘訣は健康に対するこだわりだった!?

戦国時代の有名な人物といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などさまざまな武士の名前が挙がります。
そのなかでも、その後も長きにわたって天下を取り続けた徳川幕府を開いた徳川家康。そんな彼の生涯や、彼がどのように政治を行ってきたのかは、すでによく知っているという方も多いはずです。

家康は74歳の時に亡くなりますが、彼が生きてきたのが人生50年とも言われた時代だということを考えると、いかに長寿を全うしたのかということがわかりますよね。徳川家康は、高齢になっても政治を動かし続け、生涯現役を貫いてきましたが、それを可能にしたのは、彼の健康へのこだわりだったそう。
今回は、徳川家康が高齢になっても現役を貫けた理由として、健康に対してどのようなこだわりを持っていたのかをご紹介していきたいと思います。

人質から始まった家康の天下とり

徳川家康は、愛知県東部の三河地方にある松平家に生まれました。彼の幼少期は、「織田家」と「今川家」の間を人質として行ったり来たり。時には今川家へ運ばれる途中に、500文で織田家に売られるといったこともあったようです。

その後、桶狭間の戦いの最中に織田信長の急襲に遭い、今川義元は戦死。それを機に家康は、今川家から独立し、三河にある岡崎城に帰還しました。そして、織田信長と同盟を結び、名前を今に伝わる「徳川家康」の名に改めます。信長と同盟を結んだ家康は、三河地方を支配し、確実に力をつけていきました。
さらにその後、江戸幕府を開くまでのことは、すでにみなさんもご存知のとおりです。

天下をとるには長寿だと気づく

長寿だったことでも有名な家康は、それまでに天下人を目指した信玄、謙信、秀吉がいずれも天寿を全うすることなく亡くなっていたことからも、勝利をつかむためには、何としても長生きしなくてはと、早くから気づき、健康への関心を高めたといいます。

関ヶ原の戦いのころには、体重が増えかなり恰幅のよい体型になってしまっていたようですが、それでも家康は、健康のために痩せる努力を惜しまなかったそうです。若いころから健康の大切さに気づいていた家康は、医学に対しても高い関心を持っていたそう。医学に関する知識も豊富で、独自の医学観を持っていた家康は、自身が抱える専門医たちの浅はかさを笑ったというエピソードまであります。

健康であることにこだわっていた家康が、特に気をつけていたのは食生活と運動です。食生活では、「美味は月に二、三度で十分。平素は普通の食べ物がよい」といい、麦飯を好んで食べていたといいます。
また、季節外れのものや冷たいものは決して食べることがなかった家康。旬の食べ物が健康によいという話は現代でもよく知られていることですよね。真夏でも冷たいものを食べずにうどんなどを食べていたというのも、食中毒や胃腸を保護するためだったそう。

さらに、運動としては「鷹狩り」を熱心に行っていました。家康は「鷹狩りこそ一番の健康法だ。なまじ薬を飲むより、ずっといい」と夏冬関係なく、早朝から山を駆け回ったという話もあります。40歳以降は、病に苦しむこともありましたが、養生の甲斐あってか、長生きすることができたというわけです。

いかがでしたか? 天下をとるだけでなく、長寿をも全うした徳川家康。家康の高い健康意識や健康を保つための努力がなければ、徳川幕府を開くこともできなかったかもしれませんよね。家康の養生に関するエピソードは、ずっとやりたいことを現役でやり続けるには、なによりも健康であることが一番重要だということを教えてくれます。不摂生になっている方は、少し生活を見直してみてはいかがでしょうか。

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参考:

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